野中兼山の残した遺構やその歴史を学ぶ子どもたち
その志を継ぐ子どもたち
史跡三叉(みつまた)を示す看板 |
香南市では現在、子どもたちが地元学として野中兼山の偉業を学んでいます。
野中兼山の仕事は、水源が無く標高が高いこの大地に農業用水を引くためには、ずっと上流の現在の香美市(土佐山田町町田)で巨大な流れ「物部川の水」をせき止めることでした。
当時、野中兼山は数年をかけ、野市上井堰と野市下井堰を木と石で築造したのです。
さらに、これら堰と連結する用水路を掘り、野市上井堰にかかる水路下流では今も現役の遺構「みつまた」(香南市指定史跡)まで水を通し、そこから分水し下流の乾いた大地へ縦横無尽の用水路網を整備したことで飛躍的に農業が発展しました。
当時は測量機械や重機もなく、人力で行った巨大土木事業の成果が市民の皆さんの足元をさらさらと流れる“物部川の水”であり、その水路を掘った先人たちの名が旧水路名(例えば武市溝、近藤溝、野村溝など(野市町史より))として残り、その誇りを今に伝えています。
この歴史について、香南市の小学校3,4年生の社会科授業では副読本「香南のくらし」を通じて、当時の苦労や意義、現代社会に通じるこの水の恩恵を学んでいます。