ギャラリー
物部川統合堰及びその下流の関係水路ほか
(1)物部川統合堰(通称:町田堰)
画像:物部川統合堰(香美市土佐山田町町田) |
香美市土佐山田町町田にあるこの物部川統合堰は、野市上井堰のあった位置にある。昭和38年の台風による水害によって、野市上井堰、野市下井堰、吉原堰、田村堰、物部堰、久枝堰、吉原堰の6堰が流亡したため、最も上流にあった野市上井堰の位置に再編統合し、現在までずっと香南市、南国市、香美市の農地へ必要な農業用水を灌漑しています。
(2)六堰統合記念之碑
画像:六堰統合記念之碑(香美市土佐山田町町田) |
物部川統合堰の傍らにはこの記念碑が鎮座しています。碑文は衆議院議員中谷元氏によるものであり、石碑裏面には六堰統合の経緯や配分水災害復旧事業名等が記載されています。その記載によれば、災害復旧の事業主体は高知県であり、工事期間は昭和39年より3年ケ年間を要し、事業は当時の金額で2億9千5百万円、受益面積1,620haでありました。しかし、宅地化等が進み現在、受益面積は1,370haと250ha近く減ってきています。
特に宅地化が進む香南市にあっても農業用水は必須(三宝山からの眺め) | 第1回高知県「新いなかデザイン賞」に入賞(H9野市上井堰・下井堰土地改良区が受賞/三叉付近に碑あり) | 野中兼山遺構「三叉」付近は歴史散策コースともなっている |
(3)川干(水止)
画像:川干時に魚などを捕る少年たち(香南市野市町西野) |
毎年春3月初旬には5日間において川干(かわひ)を行う。「川干」の時には、物部川統合堰の取水を遮断し、水がなくなったところで農家や関係者総出で用水路の掃除を一斉に行い、今期の農業の準備を行う。画像のような水溜まりなどにはエビや小魚、ナマズなどがおり、子どもたちや大人までが捕まえたりすることは一種の風物詩であったが、近年では人出自体が少なくなってきました。
(4)幹線用水路沿いのサクラ並木
画像:物部川統合堰下流の幹線水路沿いの桜並木(香南市野市町父養寺) |
水路沿いに数百メートルにわたってソメイヨシノの桜並木がつづき、4月初旬頃から花見シーズンとなり、香南市内外から花見客が花見を楽しむ場となっています。遊歩道が整備され、とうとうと流れる水とサクラは心を和ませます。のいち駅から車で5分程度の場所です。
(5)幹線用水路沿いのアジサイ街道
画像:物部川統合堰下流の幹線水路沿いのアジサイ(香南市野市町父養寺) |
梅雨の時期には壮大で見事なアジサイの斜面が6月頃から出現し、とても圧巻です。このアジサイは地元住民らの手によって管理され大事にされているアジサイであり、同時期にホタルの乱舞が見られます。コンクリート水路でありながら、周辺の自然環境もあって、ホタルのそれは幻想的な夜も演出し、多数のカメラマンを魅了しています。
(6)歴史ある水路網
画像:田園の中の用水路と祠 |
野中兼山が物部川に堰を建設以来、350年以上にわたって灌漑してきたが、特に現在の香南市野市町一体は台地で茫漠たる乾いた荒野であり、灌漑後もかずかずの水争い、紛争の歴史がありました。そういった時期も含めて、現在まで連綿と市のなかをコンクリート水路網が走り、地域の人々の農業や生活を支え、農村的景観は人々に安息をもたらしていると言えるでしょう。主要な用水路は現在でも郷士(侍)が付いた水路名で呼ばれ親しまれていますが、著しく老朽化も進行しています。
(7)稲穂
画像:稲穂と青空(香南市野市町西野) |
物部川統合堰の受益エリアの大半は稲作である。早生米であることから3月に田植えを行い、7月下旬には収穫作業が始まります。主な品種は、コシヒカリとなります。しかしながら、米作では農業がなりたたない現状があり、園芸品目(香南市はニラ産地として日本一である)や飼料用米への転換が求められてきています。
(8)手結の盆踊り
画像:手結の盆踊り(香南市夜須町手結) |
野中兼山ゆかりの祭り「手結の盆踊り」は、高知県指定無形民俗文化財であり毎年8月15日に盛大に香南市夜須町(ヤ・シイパーク)で行われています。元来、野中兼山は風俗を乱すとして民衆の盆踊りを禁止してきましたが、手結港を築港時の犠牲者の霊を祭るための特例として「手結の盆踊り」は柔軟に認め、港を完成させたと言われています。なお、踊りは、すべて口伝えで継承され現代的な踊りを演目に加えず古来のまま保存され文化的価値が高く、演目には「こっぱ」「くろす」「見合い」「花取り」があり、伝統の舞は一見の価値があります。