野中兼山の評価
その功績と偉業
偉人野中兼山(明治44年発行 高知県立図書館所蔵) |
高知では野中兼山関係資料は多いが、その中でも「偉人野中兼山」(明治44年6月発刊 西内青藍著)は当時発刊に際し巻末に「即ち今次有志謀り翁の功動と偉業とを天下に表彰して其英霊を慰むる為め」(野中兼山翁祭典主唱者一同識)とあり、祭典委員として板垣退助、浜口雄幸、渋沢栄一などの名があり、また特別賛助者として高橋是清、岩崎小彌太、島村速雄、広井勇、仙石貢、片岡直温などの名が見られます。
さらに一般賛助者は県内はもとより全国の政治家、企業家、教育者、官僚など数え切れないほどの人名が記載され、兼山の偉業がいかに知られていたか、驚くばかりです。
野中兼山の行政に多少の強引さがあったにせよ、その性格と使命感あっての成功であり、後の庶民も含めてその恩恵をこうむったことは否めなめません。その証拠には、今、祭る県内各地の神社がそれを物語ります。
(出典は桑田一著「川の流れは止まらない」より)
○野中神社(香美市土佐山田町中組)
兼山の遺子、婉子女史が寛永5年9月、野中家の跡が絶えて兼山一族を合するために祭った神社。
○春野神社(香美市土佐山田町楠目)
香美市土佐山田町にある旧・山田堰のある場所で、文化3年、現・いの町八田春野神社の末社として
建立したもので兼山を祭った神社。
○野中神社(本山町 帰全山公園)
延享2年、千頭兵左衛門、石川嘉平次、志和精兵衛の三氏、初めての中家累代の墓地の帰全山に
宮を建て兼山の霊を祭った神社。(祭日5/15、12/1)
○清川神社(高知市比島)
長宗我部元親、僧・薫的、野中兼山を祭る。
○春野神社(いの町八田)
野中兼山が没した翌年、寛文4年の建立といわれる。当時は土佐藩に遠慮し、「野中」の名を避け、
春野神社と称した。
○春野神社(高知市春野町森山)
森山地区の新川は兼山の創設した町であり、後年、町民が相談して祭るという。
○野中神社(大月町柏島)
柏島の島民が兼山の徳を偲んで明治17年に造営した神社。
これらの神社群を見ても、兼山の徳の致すところであると思われます。
なお、野中兼山(野中婉含む)の墓地(野中家墓地)は、高知市高見山にあります。