野中兼山が建造したその他の主要土木事業
高知県に残る史跡
香南市「手結港」
手結の盆踊りの様子 |
手結港は、日本最初の掘込み港湾として慶安3年(1650年)に着手し明暦元年(1655年)完工している。漂砂による港湾埋設を防ぐため内港まで細長い航路で結び、南側に長い突堤を設けました。
この工事中に悪疫がはやり多数の死者を出したのですが、元来、兼山は風俗を乱すとして民衆の盆踊りを禁止してきましたが、この時の犠牲者の霊を祭るための特例として「手結の盆踊り」は柔軟に認め、港を完成させました。この祭りは以来360年の現在まで続き高知県指定無形民俗文化財となり、毎年8月15日に盛大に行われています。「野中兼山先生の築きよ上げたる港なりよ さのよいやさ 頃は明暦三年二月、工事の内にも数々のよ 犠牲を出したるそのために老いもよ若きも集まりてよ 共に踊りて供養する」(盆踊りの歌詞の一部抜粋)
香美市「山田堰」
山田堰は、湾曲斜め堰として有名であったが昭和48年(1973年)に上流に新たな堰ができ用済みとなり昭和57年(1982年)に一部を除き撤去されました。工事は寛永16年(1639年)に着手し25年もの歳月を要し、寛文4年(1664年)に完成しています。堰は、全長180間(324m)、幅6間(10.6m)、高さ5尺(1.5m)とあり築造には松材42800本、大石1100坪を用いたと言われおり、現在は、旧堰の上流に可動堰として存在し、香長平野等を潤しています。
山田堰のある香美市は、現在では「土佐打ち刃物発祥の町」として、藩政時代から徐々に発達してきた土佐鍛冶の町として知られています。兼山時代においても山地から大量の木材を切り出し、物部川を筏に組んで流し、市場で売りさばき外貨を稼いだのです。この堰と同時に設置した舟入川によって高知城下までの木材等の運搬を可能としたのです。堰の工事には4万本以上も松材を使ったという記録もあり、藩政時代中期より、このような兼山の開発が農業林業用打ち刃物の需要が拡大していったと思われます。
その他
室戸市「津呂港」は、岩礁の中の僅かな窪地を掘り上げる難工事の末に築いた避難港で、航海の難所である室戸岬を航行する船の海難を防ぎ、多くの人命を救ったとされています。
また、一級河川仁淀川では、いの町「八田堰」、土佐市「鎌田堰」「鎌田井筋」、あるいは、八田堰から取水した用水路である高知市春野「弘岡井筋」なども建設しています。八田堰では両岸から縄を川中に張りたわみかたによって水勢を測る「糸流し」という方法がとられました。鎌田堰やその井筋の工事で人夫の士気を高めるために「大綱祭り」が現在でも土佐市に残されています。
その他、吉野川筋では土佐町「宮古野溝」、四万十市における「四万十川・中筋川の改修」、宿毛市「松田川の河戸堰」なども完成もしています。まさに土佐の土木技術のパイオニアと言っても過言ではありません。